岩窟の聖母1483-1484/85

Oil on wood, transferred to canvas, 197.3 x 120cm Paris, Louvre


このような絵を何点も所蔵しているあたりにフランスの美術品収集能力がいかに並外れているかを思い知らされます。レオナルドの主要な作品はほぼルーブルが所有しているのでレオナルド信望者としては否応無しにパリに行かざるを得ません。

ルーブル美術館は巨大な美術館でとても1日で回れるような美術館ではありません。その巨大な美術館のドゥノン翼と呼ばれる一角にこの絵は展示されているのですが、人気のモナ・リザの前にはひっきりなしに観光客の列が出来上がっているのに対してこちらの岩窟の聖母の前はたまに人が訪れる程度で全く込み合うことはありませんでした。

そのようなことになってしまう理由はこの絵が飾られている一角が少し奥まった場所にあり、人気の絵の多くがモナ・リザの向こう側に多く展示されているためコース的にこちら側に来るには一度奥まで回り込まなくてはいけない順路になって効率が悪いためです。しかし、人気がないおかげで毎日気がすむまでこの絵の前の特等席を独占できるのでその時の岩窟の聖母は私にとっては最高の展示位置にありました。

岩窟の聖母はもともと祭壇画なので絵自体も大きいのですが、さらに周囲を幅のある額縁が取り付けられているので全体としてかなりの大きさになります。

そして、この絵の額縁は独特でかなり手前にせり出すような立体的な構造をしており、祭壇画をそのまま持ってきたようなイメージです。また、絵の状態は板からキャンバスに移された時に損傷した部分があるとのことでしたが、私が見る限りそのような傷みが画面に存在するようには見受けられませんでした。

この絵はレオナルドの芸術を完成させた記念すべき大作で完成度の高さはレオナルド作品中群を抜いています。レオナルドは晩年には聖アンナと聖母子も描いているのですが絵の精緻な描写という点でははるかに岩窟の聖母の方が上回っています。

特に幼児イエスとヨハネ周辺の描き込みが素晴らしく、どんなに近寄って目を凝らしても人間の手で描いたとは思えないくらい陰影が繊細で細かく肉眼では境界が全く判別できませんでした。一体、どのようにしてこの絵を描いたのかまるで想像がつかず人間離れしているとしか言いようがありません。

何気なく幼児イエスの足のあたりに描かれている草の葉一枚でも私には一生かかっても決して描くことはできないだろうと感じさせられ、人間はやはり才能を持って生まれるかどうかだということを強く実感させられた絵画でした。

また、人物の描写だけではなく風景を含む全体的な描写に関してもこの絵は特別な特徴があります。

イタリアの絵画、特にフィレンツェを中心とした絵画は光が溢れ明るい画面が特徴なのですが、一方でこのミラノから北はフランドル絵画の影響が強い傾向があり、光り輝く明るい風景の代わりに薄暗く静謐で空気の冷たい空間の描写が特徴的となっています。

この絵もそういったミラノ絵画的な特徴を持ち、描かれているものとそれを見る者の間に冷たい空気が存在していることを感じさせてくれるような静謐さがあります。

素晴らしい髪の毛の描写、見事な指の表現、完成されている衣服の描写、この絵は全てにおいてレオナルド芸術の一つの到達点を示す記念碑的な作品と言えるでしょう。